バッハ・コレギウム・ジャパン(鈴木雅明)

J. S. Bach マタイ受難曲

1999 年 4 月 1 日 ザ・シンフォニーホール

 鈴木雅明氏が主宰するバッハ・コレギウム・ジャパンによる バッハ「マタイ受難曲」公演に行ってきました(4/1 ザ・シンフォニー ホール)。3時間半にわたる長丁場で緊張感を失わず、見事な 演奏だったと思います。ただ、プログラムと首っ引きで拝聴した せいか、いくぶん情よりも知に訴えかけるところが大きいような 気がしました。

 私にとっては、マタイは初めての実演で、そればかりかオリジナル 楽器の演奏も初めて目の当たりにしました。繰り返し聴いてきた リヒターの演奏との違いもさることながら、二つに分かれた合唱と オーケストラの存在などがとても新鮮で、実演の素晴らしさを今さら ながら再認識させられました。

 冒頭の曲が始まって、合唱が入る部分が比較的おさえた感じで、 なんとなく映画「奇跡の丘」のような、簡素で心のこもった演奏と 受け取ったのですが、演奏が進むにつれて、むしろここぞという ところで繰り出される迫力に圧倒されることが多かったです。特に 合唱陣が一糸乱れず、「バラバを」とか「十字架につけよ」とか 叫ぶとき、また「本当にこの方は神の子だったのだ」とつぶやくときの 迫力は鳥肌ものでした。

 独唱陣も負けてはおらず、エヴァンゲリストのゲルト・テュルクや、 バスのペーター・コーイなどの声は素晴らしかったです。今回の 公演では、バスの浦野氏が急病のためでられなくなり、ピラト その他の役柄などは合唱団の人がかわりを務めていましたが、 なかなか見事なものでした(最後の拍手で彼らが指名されて 立ち上がったとき、拍手がひときわ大きくなったのを聞いて、 思わず心が熱くなったものです)。独唱陣ではアルトをカウンター テナーをロビン・ブレイズという人が受け持っており、この人も 大変熱演していたのですが、私にはやや広がりに欠けるように 思われました。これは彼のせいではなくて、本来カウンター・ テナーというものがもつ宿命なのだと思いますが、バッハの 奇跡的なアリアのいくつかは、個人的には分厚い女声で歌ってほしい 気がしました。

 器楽演奏家達も負けてはいません。まず指揮者の鈴木氏自身が 通奏低音のほとんどをオルガンで受け持っていました(これも力強く 印象的でした)し、Vn の寺神戸氏、チェロの鈴木秀美氏、など 私でも名前を知っている人たちがアリアの伴奏などで美しい演奏を 披露していました。そのほか、はじめて生で聴いたフラウト・ トラヴェルソやヴィオラ・ダ・ガンバの音はこの世ならぬ響きで 遠くの世界に誘ってくれるようでした。とにかく、合唱、独唱、 オーケストラと、腕の立つ人を集めたなあという印象でした。

 また、この大曲をはじめから終わりまで、対訳を片手に聴き通したのは 初めてで、いろいろな発見がありました。プログラムにあった鈴木氏や 礒山氏の解説も大変参考になり、たとえば最後の山場で、祭司長達が ピラトにイエスが復活するかもしれないから墓の番をたてたいと相談 するところが、輝かしい合唱として表現されて、復活を暗示している ところなど、眼からうろこが落ちる思いでした。

 ただ、そういう勉強的な姿勢で聴いたせいもあるのか、また3時間 以上も座っていて、お尻が痛くなってきたせいもあるのか、さらに 隣の人がちょっと迷惑な人だったせいもあるのか、大感動にうちのめ されるというところまではいかず、頭で感動したという面が強い気は しました。やはり根が単純なだけに、大編成のオーケストラや合唱で 力でねじふせられないとなかなかそういう気持ちになれないのかも しれません。もっとも、数箇所思わず涙ぐんでしまうようなところは あったのですが。


(C) Kenta Nakai