R. Strauss 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」

(コンサート・オペラ形式)

指揮・演出・訳詞字幕:井上道義

新日本フィルハーモニー交響楽団

独唱:エヴァ・ヨハンソン、天羽明恵、加納悦子他

2002 年 9 月 14 日 すみだトリフォニー・ホール

 格別のオペラファンではない者にとって、オペラのチケット 代が高額になるのはつらい。著名海外歌劇団の引っ越し公演と もなると、S 席でなくても 3,4 万円ぐらいはするだろう。おそ らくそういう声にこたえて、オペラをもっと手軽に楽しみたい 人のために、演奏会形式の上演がしばしば行われる。筆者はこ の手の演奏会を実際に聴いたことがないのだが、年末の第9の 演奏会みたいな感じのものであろうとは想像できる。しかし、 これはどちらかというと、オペラを純音楽的に楽しむことので きる通向きの企画なのではないかとも思われる。今回の公演は、 コンサート・オペラ形式と銘打っていて、本格的な演出つきと、 演奏会形式との中間を狙ったものらしい。決して広いとはいえ ないトリフォニーホールのステージ空間を上手に使っていて、 違和感なく楽しめた。これで A 席1万円はお値打ち感がある。 今後もこういう試みをもっとやってほしいものだと思った。演 出でおもしろかったのは、1幕目の舞台裏のシーンで、トリフ ォニーホールの実際の裏方さんとおぼしき人がでてきたり、3 人のノルン?がホールの案内嬢の制服らしきものを着ていたこ と(最初にでてきたときは、黒衣さんかと思った)。また、大団 円の花火は消防法などの壁もあったろうに思い切ったことをし てくれたものだとうれしい驚きを味わった。これらの演出は指 揮者の井上氏によるもので、彼は字幕まで担当したそうだ。「直 談判」を「自家談判」と変換違いしていたのはご愛嬌。

 そもそも、今回の公演に行きたいと思ったのは、なによりも R. Strauss のゴージャスなサウンドにひたってみたいと思ったか らである。だからこそ、姉妹企画である小沢征爾の「蝶々夫人」 よりもこちらを選んだのである(おそらくお客の入りはあちら が上であろう)。実は R. Strauss のオペラを実演で聴くのは今 回が初めてだったが、以前愛知県芸術文化センターで、そこの こけら落とし公演「影のない女」を映像で見て、しびれてしま った経験がある。やはり、ワーグナーやシュトラウスの音楽は 劇場で大音響を楽しむものなのだと思う。今回の公演で、井上 氏の指揮がどのような方向性を狙っていたのかは私には知識不 足でよくわからなかったが、オーケストラはかなり美しい音を だしていたと思う。2幕目の冒頭など、ため息がでるほど美し かった。もっとも、本場の手だれのオーケストラなら、もっと すごい音がでるのだろうなあと思ってしまったのも事実である が、それは素人の無い物ねだりというものであろう。歌手陣も みんな熱唱していた。プリマドンナ役のヨハンソン氏は1幕目 では押え目の歌唱であったが、2幕目になって、がぜん美声を 披露していたし、ツェルビネッタ役の天羽明恵氏は、非常に難 しそうなアリアを見事に歌いきって、聴衆から盛んな喝さいを 浴びていた。

 最後に、このオペラについて。このオペラは、いわゆる劇中 劇の形をとっているだけでなく、その中のシリアスな劇中に、 軽薄っぽい即興劇がはさまれるという複雑な構成をしている。 1幕目が舞台裏を描いたプロローグになっていて、2幕目がそ の中で演じられるオペラそのものになっている。そのため、1 幕目の主要な登場人物は2幕目に出てこず、たとえば1幕目で でてきた作曲家は2幕目のオペラをみて、どのような感想をも ったのか全くわからない、などなどという意味で、観客はいろ いろ、とまどわされる。さらに、話の流れからは、なんとなく、 ワーグナーに代表されるようなきまじめなオペラ(オペラ・セ リア)をからかっているのかと思っていると、最後はやけにロ マンティックな幕切れになってしまう。結局のところ、台本作 家ホフマンスタールと作曲家はこの作品で何を表現したかった のだろう?私の解釈は、熱烈なワグネリアンだった R. Strauss も、年をとるにつれ、「愛のために命を犠牲にする」式の話をお おまじめにやることに照れを覚え、第三者的な角度からの茶々 をいろいろ入れはするが、最終的には、おおまじめな感動が、 茶々をいれる者にまで伝わるほどになったというものである。 つまりは、オペラ・セリアのアウフヘーベンみたいなものを狙 ったのではないかと思ったのだが、いかがであろうか。とにか く、別に演出のせいではないと思うが、うやむやのうちに押し 切られたという印象は残った。


(C) Kenta Nakai