生誕100年記念 荻須高徳展

2001年6月3日 目黒区美術館

 私が住んでいる目黒区とゆかりの深い画家、荻須高徳の展覧会が近 くの美術館で開催されていたので、最終日に滑り込んだ。久しぶりに 本物の絵画にふれる喜びが味わえたのと同時に、時代の流れに逆らっ て我が道を歩む画家の苦渋も少し味わえたような気がする。

 荻須は藤田嗣治や佐伯佑三らより少し遅れてパリで活躍を始めた 洋画家で、1920年代から1980年代にわたる間、パリの町並みを独特 のタッチで描き続けた。画風は親しみやすいし、フランスでレジオ ン・ドヌール勲章を受け、日本でも文化勲章を受けたとのことなので、 それなりに才能を称賛されて幸せな人生だったのではないかと想像 する。しかし、その絵から漂ってくるのは、変わらぬ一種のメランコ リーであるといっていいだろう。今回の展覧会では、初期のパリ風景 と戦後のパリ風景の絵を中心に展示していたが、その画風は驚くほど 一貫して変わらない。最初の頃こそ、エコール・ド・パリの画家とし て、流行の中にいたのかもしれないが、フォービズムやらキュビズム に始まるめまぐるしい20世紀絵画の歩みから離れて、パリで自己主 張していくのは結構難しかったのではないかとも思われるし、自身も 迷いを持たなかったのだろうかと思ってしまう。

 実際、展覧会に来て、印象よりも大きなキャンバスに非常に微妙な 色調でかかれた絵をみていると、久しぶりにいい絵をみたという喜び があふれてきたが、次々と同じような絵を見続けていると、やはりな んとなくマンネリという印象がぬぐえなかった。そのような目で見る と、少なくとも展示品から判断する限りでは、この画家もいろいろな 変化を試みているようである。たとえば、この画家の大きな魅力は対 象を切り取るアングルだと思うが、後年のものになると、より対象に 接近するような絵が試みられ、薄汚れたような壁の色調でものを語ろ うとする傾向がみられるように思った。それが一番成功しているのは、 1964年の「黄色の壁」という作品であると思うが、そのあたりの時 期の絵は結構気に入った。しかし、この画家は結局、抽象絵画への道 には足を踏み入れなかった。たしかに60年代にもなっていまさら抽 象的な絵を描いてもうまくいかなかったかもしれないし、それはおそ らく正しい選択だったのだろう。ただ、誤解かもしれないが、あえて 絵を観ている者に、なにがしかの画家の苦渋の心情を想像させるもの があり、そのことで我知らず感動を覚えてしまった。

 また、一時期目黒に住んでいたそうで、目黒における展示でだけ、 目黒の写生画が数点おまけでついていたのが御愛嬌であった。


(C) Kenta Nakai